死んだら終わり」ということを、容赦ない感じで説明してください。

参考リンク : http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20051026#1130337796
「死んだら終わり」ではない、という方の回答はご遠慮ください。


└ 質問者のコメントmichiaki (28) 2005/10/30 01:07:58
こんにちは。
「人は死んで生まれ変わっても前世の記憶がなければそれは実質生まれ変わりでは無いですよね」
わたしはそうは考えませんが、うまく説明できる実力がないので、いまのところ反論できません。
でも「死か、回復する見込みのない完全な記憶喪失か、どちらか選べ」と言われたら、どっちがいいですか?
記憶が「私」ではない、とわたしは考えています。

http://www.hatena.ne.jp/1130340247


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死んだら無であるを完全に信じているのならば
死も回復する見込みのない完全な記憶喪失も等価なはず。
それでも回復する見込みのない完全な記憶喪失を選んでしまう自分はどこかで魂の存在を信じているのだろうか?
記憶をなくしても最終的に自分であるならば魂が自分の何かを受け継ぐとでも思っているのか?
今の自分が死んでも自分の体が生きているのなら構わないという考え方は、自分のクローンを生かす代わりに自分が死ぬか、
ただ単に自分が死ぬかを選んでいるのと変わらないのではないか?
自分にとって記憶がなくなること=死であるならば
記憶は日々劣化しているはずだから今まで生きてきた中のどこかの時点で過去の自分は死んでいるはず。
少なくとも小学生時代の自分の情報(自我)と今の情報は別のはずなので小学生の自分は死んでいるはず。
ということはだいたい15年くらいで今の自分は死ぬ。
性格とかがおなじでも自分を構成しているいろんな情報は失われているはずなので今時点の自分は生き残っていない
滑らかに10数年後へつながるはずなので一生実感はないが、生きてる間に何回かは死ぬ。