ふとしたきっかけで、世の中が90°単位で回転したような錯覚に陥ってしまい、そういう時は、何度も通っているはずの道でも、一瞬迷いかけてしまう事があります。

質問 私は時々、方向感覚がおかしくなる事があります。ふとしたきっかけで、世の中が90°単位で回転したような錯覚に陥ってしまい、そういう時は、何度も通っているはずの道でも、一瞬迷いかけてしまう事があります。過去に何度か身の周りの人に説明した事があるのですが、理解してもらえないようです。特にこの事で重大な障害は無いのですが、ちょっと方向音痴になって困る事があります。同様の事例を他に抱えている人はいるのでしょうか? もしいるとすれば、専門的に何と言うのか、また発生メカニズムなどを教えていただけないでしょうか。【その他】
回答
 人間が自己と環境の空間的な位置関係を認知するに当たっては、2つの視座を用いています。1つは、特定の物体が自分に対してどの位置にあるかを見る自己中心的な視座であり、もう1つが、外界を表す地図上で自分がどこに位置しているかを見る外界中心的な視座です。実は、この2つの視座は、、脳の異なる部位で処理された情報に基づいており、両者を調和させるには、かなり高度な作業が必要になります。

実際、町中を足早に歩いているとき、自分と環境の空間的な関係がどのように捉えられているか深く内省すると、自分の後方へと流れていく周囲の光景と、固定された環境の中を移動している自己のイメージが、必ずしも1つにまとまらず、異質なままで絡み合うように表象されている状況が感じられるのではないでしょうか。通り慣れた街路をそぞろ歩く場合、認知地図は周辺の比較的狭い範囲に限られ、目立つ建物や特徴的な看板などの“ランドマーク”を目にするたびに、記憶が呼び覚まされて地図が更新されていきます。ただし、認知地図の精度や更新の仕方には個人差が大きく、曲がり角など重要なポイント付近しか記憶に留めていない人もいれば、鳥瞰図のような広範囲にわたる幾何学的地図を脳裏に描いている人もいるでしょう。この差が、方向感覚の鈍さ/鋭さとなって現れると思われます。
 自己中心的な情報が少ないとき、認知地図の内部に自分を定位できなくなることは、誰しも体験することです。地下鉄から交差点付近の出口に辿り着いたとき、何回か訪れた場所でも、どの道がどこに向かっているかわからなくなるのは、ごくありふれた現象です。また、デパートなどの閉鎖的なビル内部を歩き回っていると、当初は、鉄道の線路などとの位置関係を正しく把握していても、何度か角を曲がるうちに90°ないし180°ずれてイメージするようになることもあります。こうした錯覚を解消するには、意識的に遠方のランドマークに着目するのが効果的でしょう。

【参考文献】『方向オンチの科学』(新垣紀子著、講談社ブルーバックス)、『街角を曲る 人と空間の認知心理学』(大山俊男著、近代文芸社
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a71.htm#q404

  • 俺もある。子供のころコタツに潜って寝て、夕方這い出すと世界が180度回転していた。

仏壇、トイレの方向、テレビの配置などに違和感があり、何か取り返しのつかないことをした感覚になった。
縁側の方向とか外の景色をみても治らなかった。母は居なかったが逆に帰って来るのがよけい怖く感じた。
今でも180度回転した世界で生活している。